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大阪地方裁判所 昭和41年(ヨ)3025号 判決 1968年12月19日

申請人 郡角治

被申請人 三協化成株式会社

主文

被申請人は、申請人を従業員として仮りに取扱い、且つ、申請人に対して、昭和四一年五月二一日以降本案判決確定に至る迄月額金二一、〇〇〇円の割合による金員を同年六月二五日以降毎月二五日限り仮りに支払え。

申請人のその余の申請を却下する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一、当事者の求める判決

一、申請人

被申請人は、申請人を従業員として取扱い、且つ、申請人に対して、昭和四一年五月二一日以降本案判決確定に至る迄月額金二一、九〇〇円の割合による金員を同年六月二五日以降毎月二五日限り支払え。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

二、被申請人

本件申請を却下する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

第二、被保全権利に関する事実上の主張

一、申請人の主張

(一)  被申請人(以下「会社」ともいう)は、発泡剤の製造販売を業とする株式会社であつて、本社工場(従業員四四名)と八尾工場(従業員一九名)を有する。申請人は、昭和四〇年三月一五日近畿大学理工学部化学科を卒業して、同年四月一日会社に雇傭され、研究部第一課研究員として新製品開発のための研究業務に従事し、昭和四一年一月からは大阪市立工業研究所(以下「工研」という)に出向し工研研究員に設置されて、有機化学第二課(課長真鍋修博士)に所属して主任研究員伊東昭芳博士(以下「伊東主任」という)のもとで研究業務に従事し、さらに同年四月八日から会社営業部販売課に配属されて勤務していたところ、会社は同年五月二〇日就業規則第五五条第二号にもとづいて申請人に対し解雇の意思表示をした(以下「本件解雇」という)。(同条によれば、「第五五条 従業員が次の各号の一に該当するときは、三〇日前に本人に通知するか、平均賃金の三〇日分を支払つて解雇する。ただし、入社後一四日以内に解雇するときはこの限りではない。第二号甚しく職務怠慢か又は勤務成績劣悪で就業に適していないと認められた場合。」となつている。)。

(二)  そして、申請人は右解雇の意思表示当時、会社から「基本給金二〇、〇〇〇円、勤務手当金一、〇〇〇円、交通費金九〇〇円」を前月二一日から当月二〇日までの分の賃金として、毎月二五日限り支払いを受けていた。

(三)  ところが、申請人には右就業規則に該当する事由はなく、また後記四のとおり右意思表示は不当労働行為であるから、本件解雇はいずれにしても無効である。しかるに、被申請人は申請人が被申請人の従業員であることを争い、昭和四一年五月二一日以降の賃金を支払わない。

二、被申請人の答弁と主張

(一)  右(一)、(二)の事実は認める。

(二)  解雇事由

(1) 申請人は、会社の研究部第一課で発泡剤の研究に従事していたのであるが、研究に必要な能力や基礎知識を持ちあわせていないうえ、研究態度も極めて不良であつて、独断的行動が多く上司からの指示にも従わないばかりか屡々反抗的態度も示し、研究中の経過報告を怠り、しかもこれといつた研究実績もあげていないなど、とても研究員の職責を果し得る状態でなかつた。

(2) そこで、会社は、申請人を研究要員たらしめるには、まず基礎知識から修得させるべきであり、それには申請人を工研に出向させて権威ある指導者の監督の下で今一度再教育を施すのが適当であると考えて、昭和四一年一月より申請人を工研研究員に設置して、伊東主任の指導を受けて学習研究させることにした。しかるに、申請人は工研においても、能力が高校卒の研修生よりも劣り基礎知識が不十分であるため初歩的な誤りを繰りかえし、そのうえ積極的に自ら学習研究しようという意欲にも乏しく、また所定のデーター集録やレポートの提出さえも遅延して指導者に必要な報告を怠り、さらに指導者からの指導命令にも忠実でなく屡々独断的行動に走り、しかもそのために伊東主任が細かく親切に指導しようとすれば、申請人はかえつてこれに反発して注意されても返事しないといつた反抗的態度を示すなど、その研究態度は著しく劣悪であり、したがつてその研究成果もあがらなかつた。

そこで、伊東主任は自分の指導の適否に悩み、また同年二月中旬には会社にも申請人の研究態度が悪いから注意してくれるように頼んだことがあり、それに応じて会社技術担当顧問宮所史郎(以下「宮所顧問」という)が伊東主任の目前で申請人に注意したこともあつた。また、同年三月三〇日には真鍋課長伊東主任が学会に出席するため東京に出張中は、申請人に機械等を損傷されないようにとの配慮から、工研には出勤しないようにとの処置まで受けた。

そして、申請人の工研における研究生活がかかる次第であつたため、会社が四月一日付で工研に対して申請人につき研究員設置願を申請したところ、同月六日工研の真鍋課長から呼出しがあつて会社常務取締役大矢信次(以下「大矢常務」という)が工研に出頭すると、同課長は、申請人の「昨年度の研究従事状態からみまして本年度も引続いて派遣されることは有機化学第二課染料研究室と致しまして他の研究指導業務にも支障をきたすと思いますので派遣中止」をしてほしい旨の要請をして来たので、会社としてもやむを得ず前記設置願を取下げたのである。

(3) 本件解雇事由は、学生時代には会社から奨学金の貸与まで受け会社の研究要員として雇傭された申請人においては、工研における勤務成績不良、研究態度や能力の低劣さと工研から研究員設置中止の要請を受けたことにより、昭和四一年四月六日当時すでに会社従業員たる適格を失つたというものである。すなわち、申請人は工研において、派遣された趣旨にそつて勤務を尽さなかつたのであつて、この勤務成績不良とそこで示した研究態度や能力の低劣さは、ついに公的機関をして派遣を拒絶せしめたほどであつて、これが解雇事由の中心になるが、それに加えて、会社は現代の厳しい競争に勝ちぬく方策として、研究員を工研に派遣しその指導のもとで新製品の開発等の研究に努力して来たものであり、これは今までに相当の成果をあげまた会社研究員も工研から高い信用を得るなど、いわば会社は工研との密接な関係において存在して来たと言つても過言ではないほどであるところ、申請人につき工研から研究員設置中止の要請を受けたことは、会社の信用を信隧させたばかりではなく、工研で研究することのできない者は会社研究員としての適格がない。

したがつて、会社は、四月六日に申請人を解雇してもよかつたのであるが、その頃はたまたま東大阪金属労働組合(以下「東金労」という)の三協化成分会(以下「分会」という)が結成された直後でもあつたので、直ちに申請人を解雇すれば、分会に対しても若干の影響がないこともないであろうし、またそのために労使間に無用の混乱が生じたり、解雇が組合活動とも関係あるかの如きあらぬ誤解を招くこともあろうかと考えて、まず暫定的に営業部に配置転換したうえ、しかる後に解雇したものである。

三、被申請人の主張に対する申請人の答弁

(一)  二の(二)の(1)記載の事実は否認する。申請人は、会社において上司からほとんど注意も受けなかつた。研究の実情は、上司からは申請人に対しテーマを与えるだけで具体的な指示はなく、申請人の方から上司に対し工夫や問題点の相談をもちかけていた。

(二)  二の(二)の(2)記載の事実について。

会社が申請人を工研に出向させた理由は、新製品開発のための合成研究をさせるためであつて、申請人は工研でその任務を遂行していた(工研でもこの系統の研究は、申請人だけが為していた)。被申請人主張の趣旨ならば、工研には申請人を研修生として派遣しそして基礎実験させるように依頼するはずである。

工研における申請人の研究態度や能力等に関する主張事実も否認する。昭和四一年二月頃伊東主任らから注意を受けたことはあるが、その内容は研究レポートを直接会社に提出しないで、その前に伊東主任に見せろというものであり、また真鍋課長伊東主任らの上京中に申請人も工研に出勤しなかつたが、その理由は被申請人の主張と相違する。伊東主任は、申請人について、能力や科学知識が他より特に劣つているなどとは考えていなかつたし、最後まで指導してゆくつもりがあつたのであり、またその不満としては同人の定時に退庁することが主たるものであつて、そのほかは単なる両者間の感情の行違いにすぎず(なおこの点については、工研では実験設備が不完全で、研究者は正規の方法による実験ができず各自の見解にしたがつた工夫をこらす必要があるため、その方法をめぐつて指導者とまさつを生じやすいことも考慮すべきである。)かかるものは研究員設置願の拒絶ひいては解雇を理由づける事由たり得ない。

会社が工研に対して申請人につき研究員設置願を取下げた事実は認めるが、それに至る事情については否認する。すなわち、工研としては申請人につき研究員設置を拒絶すべき合理的事由は何ら存在しなかつた。しかるに会社は、後述のように分会や申請人の組合活動を嫌悪して、申請人を配置転換ひいては解雇しようと考えて、四月六日午前一一時頃大矢常務が工研を訪れ真鍋課長に対し、申請人が組合活動をしているので工研には出向させないこと、および、これを工研の方から断られたためという形式にしたいから協力してほしい旨依頼し、工研側でもこれを承諾した。そして、四月七日会社は申請人に対して「工研からあずかれんとの通知があつた。工研から断られた以上研究部にはおけん」旨を告げ、さらに四月八日付で営業部販売課に配置転換した。このように、研究員設置願の取下げは、不当労働行為意思をもつて申請人を解雇するために、形式をととのえるべく為されたのである。

(三)  二の(二)の(3)記載の主張は否認する。すなわち、申請人については、工研における勤務成績、研究態度、能力に関して何ら問題点はなく、また工研の方から研究員設置の拒絶を申入れたこともなかつたのである。

また仮りに、工研から研究員設置を断られたとしても、これが直ちに申請人を解雇するのに相当な事由たり得るものではない。けだし、第一に、工研における指導員と研究員との関係は、雇傭契約上の指導命令関係ではなく、研究上の指導関係にとどまつており外的規制力はゆるやかである。かかる関係において、申請人が研究上でおかした若干の失敗や些細な態度をもつて、前記就業規則所定の従業員としての(つまり指揮命令関係における)「甚しい職務怠慢等」にあたるとはいえないし、また、工研の指導に従わないために研究員設置が拒絶された場合であつても、指揮命令関係で規制される会社で勤務させれば、上司からの指導命令によつて研究員業務の職責を尽させることも可能なはずであり、それでもなおかつ会社の規則命令にそむいて「甚しく」職務怠慢等の事実があるときに、はじめて解雇事由たりうるのである。第二に、会社は申請人を営業部に配置転換し、その後は申請人はもつぱら営業部の業務につき指揮命令を受けて業務に従事することになつたものであるから、勤務態度や勤務成績等を問題にするときには営業部におけるそれを評価すべきであつて、業務内容の全く異る研究員としての過去の勤務態度を問題にすべきではない。しかるところ、申請人は、営業部に勤務していた一ケ月間にはほとんど満足な仕事も与えられておられず、営業部員としての能力や勤務成績なども何ら試されないままに解雇されたのであるから、それが理由のないことは明らかである。

四、申請人の主張(不当労働行為)

(一)  会社が申請人を解雇した本当の理由は、分会の組合運動に介入する意図と申請人の正当な組合活動を嫌悪したところにあり、かかる解雇は不当労働行為として無効である。すなわち、会社は、従業員らの加入している東金労(個人加盟の産業別組織)の分会を極度に嫌悪し、後述のように分会に破壊攻撃を加え分会員のほとんどを脱退させてこれを壊滅したうえ、その総仕上げとして再度会社内で組合活動が高揚することのないように、分会の中心的存在である申請人を会社内から排除しようとしたものである。

(二)  申請人は、昭和四〇年一二月二八日東金労に加入して会社内で組合員の拡大活動をし、昭和四一年三月一〇日には分会が結成された。そして、同月一九日には分会員数が二〇名に達したところで分会員選挙が行われて、申請人が分会長に選出された。そして、同月二三日に分会員二〇名は非組合員二八名とともに「本給一律五、〇〇〇円要求実行委員会」の名で本給一律五、〇〇〇円賃上げ要求書を作成してこれに連署し、申請人ら五名が代表となつて、持参して会社に提出した。

そして、同月二八日には分会員数が会社従業員の過半数である三三名に達したので、同月三一日分会は会社に対して分会結成の事実を通知するとともに、要求書を交付して団体交渉を申入れた。その要求事項は、「賃金(本給)一律五、〇〇〇円値上げ」「家族手当・住宅手当の支給」「交通費全額負担」「組合活動の自由及び組合活動に必要な施設(会場・電話・掲示板・事務所)の提供」等一二項目にわたるものであつた。そして、分会は会社に対して、同年四月四日、同月一二日、同月二〇日、同月二八日、五月九日、同月一八日の七回にわたつて団体交渉を重ね、その間の四月二〇日から五月五日までには、分会員各自が「一律五、〇〇〇円賃上げ」要求のスローガンを書きこんだリボンをつけて就労する(リボン斗争)、等の活動をした。そして申請人は分会の中心的存在として活動し、団体交渉の席上には組合側筆頭代表者として臨んでいた。会社は、前記要求のうち「組合掲示板を設置する(但し、後述のように、会社は掲示板を一たん設置したあと、一方的に撤去した)、作業服は必要に応じて適宜支給する、八尾工場の食堂を改善しロツカーを設置する、女子のサービス労働につき配慮する」等につき承認し、この点は労使間で妥結した。けれども、前記要求の大部分なかでも中心的課題である賃上げについては労使間に未解決であり、これからさらに団体交渉を重ねて問題を解決して行こうとしている矢先に、分会の中心的存在である申請人が解雇されたのである。

(三)  ところで、会社は、従業員の団結行為を理解しようとしないでこれを無視し、従業員の組合活動や分会の存在さらにはその中心的存在である申請人を嫌悪して、これらに対し後述のようにさまざまな破壊攻撃、支配介入、不利益取扱などの不当労働行為を行つて来た。すなわち、

1 昭和四一年三月二三日申請人ら五名が会社代表取締役井上敏寿(以下「井上社長」という)に対して前記賃上げ要求書を提出した際、井上社長はこれを受領しようともしなかつたばかりか、「そんな組合的なやり方で来ても話をしない。こんなやり方で給料をきめるのは、今までにもやつていないし社風にもそわない。今後への悪いくせになる。入社して一年しかたたない者が代表としてもつて来るとはもつてのほかだ。そんな者はやめてもらつてもいいんだ。」との暴言まではいて、労働者の団結に対する無理解と暗に解雇をもつて対処する旨を示唆した。

2 同月三一日分会が会社常務取締役多田昭二(以下「多田常務」という)に対して分会結成通知書等を交付した際、多田常務は「うちには組合はない。帰るところなのに、そんな話を持ち出すなんて心証を害する。そんなもの見ない。預ることは預るが、君ら組合をつくるなら上部団体や他の組合を介入させずに三協化成独自の組合を作れ。」などと言つて、分会無視と組織介入の意思表明した。

3 同年四月一日、井上社長は朝礼の席上で労働組合の結成を遺憾に思う旨の発言し、また多田常務は八尾工場の朝礼の席上で「組合員は手をあげろ。組合を作るなら職場内の組合を作れ」との発言した。

4 分会結成の公表後四月上旬にかけて、会社は職制を使嗾して、まず在勤年数の古い従業員に対して家庭訪問して分会には加入するなとか分会から脱退せよと説得強要し、また分会員らに対しても大阪市キタ方面で飲食供応したり手紙を出したりして分会からの脱退を勧告し、そして分会に対しては「アカ」攻撃やデマ宣伝するなど、分会組織への介入を行つた。

5 分会が電話交換手の増員要求をすると、これに対して会社は、四月七日に電話交換業務の取扱いを廃止し、従業員の業務遂行に不便を強いる処置をした。(同年七月一五日に右業務取扱いを復活した。)

6 四月八日会社は申請人に対して、工研から研究員設置を拒絶されたという理由で、営業部販売課に配置転換した。この処置は、申請人をことさら専門外の業務に従事させようとする格下げ処分であつて、営業部ではろくに仕事も与えられなかつた。前述のように、会社は申請人に対して、かかる処置をとるために工研からの研究員設置の拒絶なる事由を偽装したものであり、これにより精神的打撃を与えるとともにその信用を失墜させるべくはかつた不利益処分であつて、申請人が分会を会社の言いなりになるように指導するか組合活動をやめるかまたは退職するかのいずれかを選ばせるべくした「いびり出し配転」であると同時に、他の従業員へのみせしめをもねらつたものなのである。しかも、それは申請人を解雇するにつき、その当時いきなり実行したのではかえつて分会員を刺激して団結が強まることもあろうかと懸念されたので、しばらくは分会の内部事情や労使間の力関係の推移申請人の転向の可否等の情勢の変化を観察することとし、これとにらみ合わせて解雇の実現へと策動していたのである。

7 さらに、会社は、分会に対抗させるべく企業内組合である御用組合を結成させることとし、職制に働きかけた結果、四月九日に資材係長や岡本営業課員らが中心となつて会社の意図にそつた三協化成労働組合(以下「三協労」という)を結成した(上部加盟団体なし)。そして、会社はさつそくこれと団体交渉しそれが妥結した形式を作りあげて、四月二一日には、「分会員には団体交渉が妥結するまで従前額しか支給しない」旨記載した文書を全従業員に配布して、賃上げしてもらいたい者は三協労に加入するように暗示したうえ、現実にも、四月分の賃金につき三協労組合員にだけ三、二〇〇円賃上げした額を支給する差別待遇した。

8 会社は申請人の上司である嘱託岡本五保を使嗾して、申請人に対し四月八日と一五日(しかも就業時間中に)の二度にわたり、解雇をちらつかせて脅かしながら分会を企業内組合に組織がえするように説得強要した。

9 四月一五日には、会社は宮所顧問を使嗾して、高校卒の新入社員に対し安全教育に名を借りた反組合教育をした。すなわち、宮所顧問は、「東金労と分会の指導部はアカである。アカについていたら就職にも支障がある」旨のアカ攻撃や「申請人は高校卒にも劣る能力しかない。精神分裂症だ。あんなやつについていたら大変なことになる。」旨の申請人への中傷をし、安全教育は一切しなかつた。

10 また、四月二〇日から五月五日までの分会のリボン斗争についても、四月二〇日には、浅田工場長が申請人に対して分会員のリボンを取りはずさせるように要求し、さらに多田常務も申請人に対して、「そのリボンは組合活動か、争議行為か。団体行動とみなしていいな。会社の統制を乱す。チラチラ目の前をじやまになる。団体行動による組合活動とみなして処分する」旨発言して、分会の正当な争議行為を懲戒処分をもつて弾圧する旨脅した。

11 前述のように、会社は団体交渉において組合掲示板の設置を承諾し、四月二四日にはこれを設置したが、同月二八日には社内掲示板を使用する場合には、事前に会社の検閲を受けるようにと通告した。そして、分会がこれにビラを貼ろうとすると、会社は不当にも会社所有の掲示板だからビラの内容につき事前の許可を受けるように要求し、分会がこれに抗議すると五月一〇日一方的に掲示板を撤去した。

12 四月二八日多田常務は申請人に対して「共産党だ。会社は共産党の指導する組合を受付けるわけにはいかん。」と述べ、分会にアカ攻撃をした。

13 会社は分会の松本知治、河野勝利両副委員長に対して、五月一日付で松本を本社生産課から下請先の光成化成工業株式会社に半強制的に出向させ、同月二日付で河野を八尾工場から本社生産課に配置転換した。これは、組合活動家を社外に追放し、また人事管理機構の弱い八尾工場における分会の影響を弱めようとするものである。

14 五月六日には会社は分会に対して、五月九日に予定されている団体交渉につき組合側出席者の人数を五名以内に規制する旨申入れ、同月九日には組合側出席者が五名以上であることを理由に団体交渉を拒絶した。

かかる不当労働行為が重ねられた結果、分会員らは動揺し、またそれに乗じて会社が分会脱退を強要したため、分会結成の公表直後と申請人の配転前後と本件解雇前後の三時点において、分会員のほとんど全員が会社の作成した組合脱退届に署名して東金労宛に郵送し、かくして分会はほとんど壊滅状態に陥つた。そして、会社は第二組合と密着しこれを温存育成して、労働者からの要求に対処しようとした。けれどもかかる姑息な方法では労使関係の真の問題解決にならないことは当然であり、申請人が分会の中心となつて組合活動を続けている以上、早晩分会が再び拡大して行くことは必然である。かくして会社は、後顧の憂いを絶つべく、また申請人を社外に放逐する情勢もととのつたとばかりに、前記一連の不当労働行為の総仕上げとして本件解雇に出たものである。

五、申請人の主張に対する被申請人の答弁

(一)  四の(一)記載の事実は否認する。会社は、家族的でいい会社である美点を保持しながらも、その経営者は労使関係につき極めて近代的感覚を持つており、従業員における労働組合の結成や団体交渉が労働法上保障された権利であることを充分に理解しており、したがつて、分会が結成された際には直ちにそれを認め、またその団体交渉申入れに対してもすべてこれに応じており、交渉の席上でも誠意をもつてこれにあたつて来たつもりである。そして、会社が分会の存在活動を嫌悪してこれに破壊攻撃を加えた事実はなく、ましてや本件解雇は分会や申請人の組合活動と何の関係もない。

(二)  四の(二)記載の事実のう、「本給一律五、〇〇〇円要求実行委員会」が要求書を提出したこと、三月三一日に分会が結成通知書、要求書(内容は申請人主張のとおり)を提出して、会社に団体交渉を申入れたこと、その主張のとおりに団体交渉が重ねられたこと、分会がリボン斗争したこと、分会からの要求のうち、作業服の支給、八尾工場の食堂改善ロツカー設置、女子サービス労働に関して労使間で妥結したことは認めるが、その余は否認する。

(三)  四の(三)記載の事実については、前述のように分会や申請人に対して、破壊攻撃支配介入不利益処分などをしておらない。その1ないし13記載の各具体的事実について述べると、次のとおりである。

1については、要求書は工藤らが代表として持参したものであつて、申請人はその席に居らなかつた。なお、当時会社は八尾工場で火災を出して生産停止の緊急状態にあり、井上社長は取引先や金融機関を相手に日夜奔走しており、その時も納品先の大晋商事株式会社社長の訪問を受けて取引上の用談をしていたものであり、その途中で同社長が席をはずして社長室前二メートルのところで電話している最中に工藤らは入室して来た。そこで、井上社長は、いまは来客中だから暫く応接室で待つようにと指示したのであるが、工藤はその制止も聞かずに要求書を読上げはじめたので、この従業員としてあるまじき態度を怒つたのである。

2について。多田常務は、突然に分会結成通知を受けたので驚きはしたが、それに対しては「我社に労働組合がないのをはずかしく思つていた。お互いにしつかりやろう。」と述べたのであつて、労働組合を認めて働こうとする経営者の積極的姿勢がうかがわれる。

3と4については否認する。

5について。電話交換業務取扱いの廃止の事実は認めるが、これは会社にとつてこそ不便であるが、分会にとつては何の痛痒もないはずである。

6については、二の(三)記載のとおり。

7について。会社は、三協労の結成に関与していない。聞くところによれば、分会は入社一年未満の従業員が中心となつて結成されたが、これに不満を持つ古い従業員が中心となつて自主的に三協労を結成した、とのことである。そして、会社は両労働組合間に差別待遇をしていない。すなわち、会社は四月一六日に三協労との間で平均三、二〇〇円賃上げでもつて妥結したもので、同月一八日には分会との団体交渉でもこれと同額の回答をしたのであるが、分会は同日および二〇日の団体交渉ではこれを拒絶した。そのため、会社は四月分の賃金につき、三協労組合員には賃上額によりまた分会員には従前額により支給せざるを得なかつたのである。そして非組合員に対しては、右賃上額で支払すべきであると考えたところ、分会は分会員の氏名を明らかにしていないので、従業員のうち誰が非組合員であるかは不明であり、そのため右趣旨を告示したのである。

8については否認する。岡本は単なる嘱託にすぎず、人事や労務には全く関係していない。したがつて、会社が同人に分会対策などさせるはずがなく、また同人自身においてもその地位からいつて申請人に転向を強要するはずがない。

9については否認する。会社は、毎年恒例的に新入社員に対する安全教育を行つており、昭和四一年度にも例年同様の趣旨により安全教育を実施したまでのことであつて、宮所顧問は労働組合関係のことを述べていない。

10について。会社としては、就業中の従業員のリボン着用は違法であるとの見解をもつており、分会にはリボン着用をやめるように再三注意したのであるが、分会がこれをやめようとしなかつたので、その後はやむなくこれを放置していたものであつて、多田常務が申請人主張のような発言をしていない。

11について。会社は、分会との間で掲示板使用に関して協約を締結したこともなければ、また従来これを使用させていた事実もないのであつて、分会には会社掲示板を使用する権利がない。そして、会社は自己使用の必要から、四月二五日頃に会社掲示板を設置した(もつとも、分会が申出れば適当な掲示物については貼布させるつもりだつた)のであるが、分会が勝手にビラを貼布したりするので、会社はそのために労使間で問題が起つてもいけないと考えて、自己の不便を忍んで会社掲示板を撤去したものである。

12については否認する。

13については、松本と河野を出向や配置転換させた事実は認めるが、その余を否認する。松本については、会社が下請会社の光成化成株式会社に新たに製造設備を貸与したので、従来その部門を担当していた同人を技術指導のために同社に出向させたものであり、しかもその際には、「組合との関係で行きたくなければ行かなくともよい」旨述べて終極決定を本人の自由意思に委ねるなど配慮しており、本人は強制されたどころか喜んで出向したものであり、また河野についても、通常の人事交流の一環として為されたものであつて、同人は会社に抗議するようなこともせずに素直に応じている。

14については、申入れの事実は認めるが、その余を否認する。会社と分会との団体交渉には、会社側では終始三名が出席していたが、分会側では四月二八日には十数名も出席して口々に発言し場内は喧騒を極めてとても交渉の実をあげられる状態ではなかつた。そこで、会社は、分会側には東金労のオルグが出席することも考慮してその出席者は五名程度が最適と考えその旨申入れたところ、分会もこれを了承した。また、五月九日についても、会社は団体交渉を拒絶していないのであつて、適当な人数による円満な交渉の場を作るべく申入れ且つ努力したまでである。

このように、会社は、これまでにも不当労働行為となるようなことはしたことがないのであつて、本件解雇もかかる意図でもつて為したのではない。

第三、保全の必要性に関する事実上の主張

一、申請人

申請人は、労働者であつて、会社から支給される賃金を唯一の収入として生活していたところ、本件解雇により収入の途が絶やされたので生存がおびやかされる状態となり、また組合活動家である申請人がいつまでも職場から放逐されていたのでは、従業員の団結権も決定的に破壊されてしまうおそれがある。

二、被申請人

否認する。

第四、立証<省略>

理由

一、申請人が会社の従業員であるところ、会社が昭和四一年五月二〇日就業規則第五五条第二号にもとづいて申請人に対し解雇の意思表示をしたこと、当事者に争いがない。

二、そこで、本件解雇の意思表示が無効であるかどうかについて判断する。

(1)  申請人本人尋問の結果により真正な成立を認め得る甲第一六号証、証人伊東昭芳の証言および申請人本人尋問の結果によれば、工研は大阪市経済局に属し、工業関係の調査研究質疑応答、工業装置の視察、委託研究分析、技術者養成等を業務とし、そのうち、委託研究には、企業が費用を納付するだけの場合とそれに加えて受託研究員を派遣して(研究員設置といわれる)工研所員の指導を受け工研施設を利用して研究する場合との二方式があること。なお、外部の者が工研所員の指導を受け工研施設を利用して研究する制度としては、受託研究員のほかに、学校から派遣される「実習学生」と大学、工業高校卒業者を企業技術者に養成するための「研修生」があること、会社では、研究部で研究業務を遂行しているのであるが、企業規模からの制約上万全を期しがたいためその補充は工研よりの援助にもとめることとし、工研有機化学第二課(課長真鍋修博士)に対して研究や技術指導を委託し、昭和三四年以降ほぼ毎年にわたつて従業員を受託研究員や研修生として出向させ(合計七名)、工研の所員による指導と施設を利用して研究に従事させて、相当の研究成果をあげるとともにあわせて技術者の養成も行つて来たこと、そして、工研側では近年は伊東主任がこれを担当しており、また同主任自らも毎週一回会社に出張して研究や技術上の指導をしていたこと(同主任のもとには、五社ぐらいから受託研究員が派遣されていたが、かかる出張指導は会社以外に例がない。)そして、会社における新製品開発研究は、研究部第一課が業務を担当していることをそれぞれ認め得る。右事情に照らせば、同課の業務の中核はむしろ工研への委託研究関係の方にあつたことが推測され、会社は工研と密接な結びつきがあつたもの、と認められる。

(2)  成立に争いのない乙第一、二号証、証人伊東昭芳の証言、申請人本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、申請人は、近畿大学理工学部化学科に学んだが、在学中に多田常務の弟である多田義昭(後に、会社八尾工場となる)と交友したことで早くから会社を知り、二学年の終りごろには会社経営者と面接して入社をすすめられ、三学年の終りごろには会社に就職することが内定し、四学年では有機化学を専攻するとともに昭和三九年の五、六月頃からは卒業論文のための研究をすべく工研の実習学生となつて伊東主任に師事することになり、同主任も申請人が会社に就職することを承知したうえで指導し、まず同年中を各種基礎実験や会社から委託されていた発泡剤関係の実験分析等の研究に従事したあと、昭和四〇年になつてから卒業論文のテーマ(「スルホン酸化合物のガスクロマトグラフによる分析」)につき研究したこと、そして、その真面目な研究態度と勉学にはげんでいたところから、伊東主任や会社関係者から嘱望されたこと、もつとも、昭和三九年の六月頃には申請人が井上社長に直接面会して奨学金の貸与を申入れて会社経営者を立腹させたこともあつたが、会社経営者は伊東主任から申請人の研究生活のもようを聞いて、同人の大人気ないふるまいに不満をいだきながらもその研究能力を一応期待して、同年六月から一〇ケ月間にわたり月額五、〇〇〇円宛の奨学資金を貸与したこと、そして、申請人は、昭和四〇年三月一五日に近畿大学を卒業して同年四月一日に会社に雇傭され、研究部第一課に所属して新製品開発の研究に従事していたところ、昭和四一年一月には向う約一年間の予定で工研の受託研究員に設置され、工研で伊東主任の指導を受けて、会社の全製品につき赤外吸収線のスペクトルを測定して基準値を作成する作業および五種類の物質につき物性、危険性、製造上の問題等を研究して新規発泡剤製品としての可能性を判定することになつたこと、ところで、工研における申請人の研究状態は、伊東主任の見たところでは、研究意欲の不足、作業の確実性や能率の低さ、進歩の遅ささらには同主任の指示指導に対してもこれを誠実に実行しようとはせずに時には勝手に作業を簡便にすませたりときには反抗的態度を示すなどの点が目立つて、研究態度は相当に悪く思われ、そして申請人の方も伊東主任の指導や性行が不満だつたこと、右の状態が、緊密な信頼協力関係や思考性正確性や自発的で強い研究意欲を最も必要とする研究業務(しかも、出向先での業務である)にとつては、相当の悪影響をもたらしたこと、伊東主任もこれを苦にして、たびたび上司や会社関係者に相談したり苦情を述べており、また同主任からの依頼により真鍋課長や会社の宮所顧問が申請人に「伊東主任の指導をよくまもるように」と注意したこと、その他の工研の関係者も、申請人の研究態度が受託研究員たるにふさわしくないと考えていたこと、

しかしながら、申請人の直接の指導担当者である伊東主任としては、申請人の問題点の根本は指示指導に従おうとしない反抗的態度にあるのであつて、その能力や科学知識には特段の不足はなく、したがつて申請人が自覚して自分の指導に従つて努力してさえくれれば、これからも充分に研究業務を遂行できると考えており、またいつかはその自覚が生まれるであろうことを期待して、引続き指導していくつもりだつたこと、(なお、前述の申請人の研究態度により、当該研究の進捗および成果が、具体的にどの程度の支障を受けたかは、これを認むべき資料がない。)をそれぞれ認め得る。

(3)  成立に争いのない乙第四ないし第六号証、証人伊東昭芳の証言および弁論の全趣旨を総合すると、従来会社従業員が工研の受託研究員に設置された場合その期間は通例一年間であり、申請人についても当初はその程度に予定されて居り、昭和四一年三月末現在(昭和四〇年度の期末)では、申請人の研究はまだ着手されたばかりの段階にあり、レポートも一通しか提出されておらず、昭和四二年三月三一日まで出向して研究を続ける予定であつたこと、そして、これらの事情は工研側でも充分承知して居り、会社から申請人に与えられた研究テーマの重要性や今後も研究を続行する必要性にかんがみて、昭和四一年四月以降についても会社から申請人につき研究員設置願が出されるであろうことは、工研側でも当然予想していたことを認め得る。そして、もしも工研側においてこれを拒絶するつもりならば、条理上は会社に対して事前にその意図を伝えるか又は了解を得ておくのが然るべきであるから、真鍋課長としてもその程度のことは念頭にあろうし、突然一方的に研究員設置を拒絶してもよいとは考えていないと思われる。しかるところ、三月三〇日に真鍋課長伊東主任らが学会に出席するため、四月五日までの予定で上京するにあたり、会社に対して、申請人のその後の研究員設置の拒絶につき、事前の申入れ等があつたことを認め得る疏明資料はない。

そうすると、同年三月末現在、工研は、申請人の約三ケ月間の研究態度について、それが受託研究員たるにふさわしくないとは思つてはいたが、それゆえに今後の研究員設置を拒絶すべきであるとまでは考えていなかつた、と推測される。そして、三月三一日から四月五日までは真鍋課長らは上京し、その間申請人は会社に出勤していたのであるから、工研側には事態の変化の生ずる余地はない。

しかるところ、右記各疏明資料によれば、四月六日の朝真鍋課長は、工研に出向いて来た会社の大矢常務と会談し、その席上に伊東主任を呼んで工研としては申請人につき研究員設置を拒絶することにした旨告知したこと、同主任はこれを聞いて予想外の事態に驚くとともに、その直後申請人をひどく叱責したこと、そして、その後、真鍋課長から会社に対して、申請人は「昨年度の研究状態からみまして本年度も引続いて派遣されることは、有機化学第二課染料研究室と致しまして他の研究指導業務に支障をきたすと思いますので派遣中止をお願い致します」旨記載された文書が出され、これにもとづき会社は申請人についての研究員設置願を取下げたこと、会社は申請人に対して、四月七日に工研からの右申入れを告げるとともに、同月八日営業部販売課に配置転換したこと、をそれぞれ認め得る。

右事実によると、右拒絶の決定は真鍋大矢会談においてきめられたことが推測される。そして、右設置願の取下は、外形的には工研からの設置拒絶申入れに対して会社がやむなくこれに応じたようになつてはいるものの、前述のように、三月三一日から四月六日までの間には、工研側においては申請人につき研究員設置を拒絶する意図の生ずべき事情は見当らない(現に工研側で指導を直接担当していた伊東主任には、右会談時まで生じていない。)のであるから、この事態を推移させた原因は、むしろ大矢常務の方から会談に持ちこんだのではなかろうか、と疑われないでもない。そこで、これに思いあたるような事情の変化が、申請人と会社の周辺にはあつたかどうかも検討される必要がある。

(4)  成立に争いのない乙第二一号証、申請人本人尋問の結果により真正な成立を認め得る甲第四号証の一、同第一六号証および同第二九号証、弁論の全趣旨により真正な成立を認め得る甲第一七号証の一、二、同第一八ないし第二〇号証および乙第九号証、申請人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、会社では、昭和四一年三月一八日に八尾工場に火災が起きて、その後の二週間は生産が完全に停止しその後でも応急的に生産を再開してみたものの生産量は半減するという、まさに危機存亡の時であつたところ、生産の完全停止中であつた三月二三日、井上社長が取引先の大晋商事株式会社社長三村明の訪問を受け納品方を督促されて、それに対する弁明や猶予方の依頼に努めており、一時三村が中座して社長室前で電話していたところに突然に若手社員数名が入室して来て井上社長が制止するのもきかないで「本給一律五千円要求」の要求書を読みあげたこと、同社長は、これを従業員にあるまじき行為であると非常に憤慨していたこと、それから間もない同月三一日、多田常務は退社間際に東金労役員や申請人ら従業員から、分会結成や役員氏名(しかも会長は申請人であつた)の通知および「本給一律五、〇〇〇円賃上げ」等一二項目につき団体交渉の申入れを受けた。そして、会社においては、分会員の氏名も明らかにされておらなかつたし、また東金労を共産党からの影響が強い地域制産業別労働組合であろうと想像していたこと、四月四日には、会社との第一回団体交渉が、東金労本部役員も参加して行われており、その頃会社は、分会対策に相当苦慮していたこと、四月六日の真鍋大矢会談では、申請人の組合活動についても話されたことをそれぞれ認め得る。

右事実によれば、前記同年四月六日迄の間に申請人と会社との間に生じた事情の変化としては、会社の経営危機と申請人の組合活動があるものと認めざるを得ない。

(5)  以上認定の各事実を覆えすに足りる疏明資料はない。

三、以上の事実にもとづいて、申請人の行為が、就業規則第五五条第二号所定の事由にあたるか否かを考えてみよう。

まず、同条項には普通解雇事由として、「甚しく職務怠慢か又は勤務成績劣悪で就業に適していないと認められた場合」と定めていることは、当事者間に争いがない。そして、この趣旨は、職務の実をあげない程度が、単なる職務怠慢や勤務成績不良と評価されるだけではなく、使用者が指揮命令権を行使しても職務の実をあげるように是正することはもはや期待できず、当該従業員を職場から排除しなければ適正な経営秩序が保たれなくなるに至つた状態、を指すと解される。

そして二の(2)記載の申請人の研究態度および(4)記載の申請人につき研究員設置を拒絶された事実は、勤務成績不良にあたる。すなわち、会社は申請人に対して、雇傭契約にもとづき指揮命令権を行使して労務提供義務の履行方法として、工研所員の指導にしたがつて研究するよう命じたものであるから(もちろん申請人も、かかる給付方法をとることに同意している。)、申請人には工研所員から雇傭契約上の指揮命令権を行使されることはなくとも、工研所員の指導に従うべきことは会社に対する関係で雇傭契約上の義務なのである。しかも、工研にあつては会社の指揮命令権も直接に働かないし、また工研は会社に研究や技術指導につき枢要部分を担当していることを考慮すれば、会社で勤務するとき以上の自律性や研究成果が期待されているのである。しかるところ、前記申請人の研究態度は工研所員の指導にしたがつた誠実な業務遂行とはいえず、また前記研究員設置の拒絶もその直接的縁由がどこにあるかはともかくとして、基本的には申請人の研究態度の悪さに由来しているものと認められる。

そこで、勤務成績不良の程度につき考えてみよう。被申請人はこの点につき、申請人は研究員として雇傭したものであるから、研究者としての適性を判断すべきである旨主張するのであるが、そもそも会社程度の規模の生産企業体において、技術者を雇傭して研究業務に従事させたからといつても、特段の事情がないかぎりは研究員という職種だけに限定して雇傭したものではないと認めるのが相当であるし(はたして真正に成立したことにつき当事者間に争いがない乙第二二号証の一によれば、研究部と他部門との交流も相当数見受けられる)、しかも会社は申請人に対して、雇傭契約の内容には変更がないことを当然に前提とし、指揮命令権を行使して研究員からかなり職種の異つた営業部販売課に配置転換してその業務に従事させたものであるから、いまさらこれを翻して申請人を研究員だけの職種に限定して雇傭した旨主張したところで、その主張はとうてい採用することができない。したがつて、申請人につき従業員としての業務適性を判断するためには、研究員としてのみならず生産技術者、さらには営業部員としての業務適性をも考慮する必要がある。

そうすると、まず二の(1)、(2)記載の事実によると、会社は申請人について、大学三年次の終りごろから入社することを前提にして、多田義昭や伊東主任を通じて身近にあるいは研究生活をともにしながら、その人物や研究能力等を観察して来た。そして、その間同人の性行には不満をおぼえたこともあつたが、奨学金まで貸与して勉学を援助し、大学卒業後はさつそく雇傭して、研究部第一課から工研の委託研究員という会社の技術者では枢要と思われる業務に従事していたこと、伊東主任においても申請人の能力や科学知識にはさほど問題を感じていなかつたこと等の事実を総合して判断すると、申請人の能力や学識については他よりも特に劣悪であるとは考えられず、かえつて会社は、この面では申請人を嘱望していたようでもある。また、二の(2)記載の申請人の研究態度上の問題点は、いずれも研究員職種の業務適性に深く関係するものであつて、この自律的で非定型的な業務を遂行していたからこそ発現されたものと思われ、したがつて指揮命令による他律性と定型性の強い生産技術者業務や営業業務等に従事した場合、はたして申請人は右問題点を発現したかどうかはうたがわしい。また、申請人につき工研から研究員設置が拒絶された点についても、二の(2)(3)(4)記載の事実によれば、工研においてはどの程度にまでこれを拒絶すべきだと考えていたかは多分にうたがわしいうえ、二の(1)記載の事実を考慮しても右拒絶によつて業務遂行に支障をきたすであろうと思われる職種はせいぜい研究部員だけであつて、他の職種にはほとんどその影響はないと思わる。

これを要するに、申請人には、就業に適しないと認められるほどに甚しい職務怠慢や勤務成績不良はなかつたというべきであるから、就業規則第五五条第二号に該当しないものと断ずべきである。

四、したがつて、本件解雇は就業規則の適用を誤つた無効のものであり、申請人は依然として被申請人の従業員たる地位にある。そして、本件解雇当時被申請人が申請人に対して「基本給金二〇、〇〇〇円、勤務手当金一、〇〇〇円、交通費金九〇〇円」を前月二一日から当月二〇日までの分の賃金として、毎月二五日限り支払つていたことは当事者間に争いがないから、被申請人は申請人を従業員として取扱い、且つ、申請人に対して昭和四一年五月二一日以降前月二一日から当月二〇日までの賃金として毎月二五日限り月額金二一、九〇〇円の割合による金員を支払う義務がある。

五、そして、本件口頭弁論の全趣旨によれば、申請人は賃金のみによつて生計を維持している労働者であることが一応認められるので、本案判決確定にいたるまで解雇されたままの状態で放置すれば、回復しがたい損害を蒙るであろうことは容易に推察できる。したがつて、本件申請の内、被申請人から従業員として仮りに取扱われることおよび従前の賃金額中基本給、勤務手当月額合計金二一、〇〇〇円につき仮払いを受けることの各必要性を認めてこれを認容し、交通費の支払いについては、被申請人が申請人の労務の提供を受領した際に任意に履行することを相当と認めるので仮払いの必要性を欠くものとしてこれを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条但書、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大野千里 高沢嘉昭 木原幹郎)

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